それに問うてはいけない問いがある

使ったあと、問うべきでない種類を書き留めました。なぜかの説明、人が読む返信、開いた集合での名付け、推論の痕跡を残すことです。問うべきなのは、なお閉じた真偽、分類、段階、上げるかどうかです。

共著者:folkbench.com (Folkbench は、AI API、モデルサービス、関連サイト向けの、検証できる評価・選定プラットフォームです。公開されたサービス情報、価格、可用性、レイテンシ、証拠の期間をもとに、利用者が経路を比較して選べるようにします。)

この一連は、十篇です。

使ったあと、私が最も明確なのは、Jev に何ができるかではありません。どの種類の話を、問うべきでないかです。

私はそれを関節として取り、口としては取りません。本能が答えられるのは、本能が答えられる問いだけです。広げなければならないもの、あるいは推論を人に見えるよう置かなければならないものは、Jev に問えば誤った対象です。人に向かって話し切ることも、誤った求めです。それには文字列がありません。問っても、答えを置く場所がありません。

問うべきでないもの

チャットモデルからこちらへ来ているなら、最も問い誤りやすいのは、下の種類です。

なぜかを説明させるべきではありません。チャットから持ってきた習慣は、開口一番、説明させることです。その習慣は、これには働きません。説明を求めるとき、届くのは判断だけです。理由は、文として書かれなければなりません。それは書けません。戻りに、「なぜなら」はありません。原因がどう到着したかを見る必要がある人がいても、それは与えられません。理由の一節が本当に必要なら、自分で書くか、話せるモデルに問い、すでにできた判断から書かせます。

人が読む返信を書かせたことが、誤って、あります。送らなければならないのは、一節です。どの文が先か、調子がどれほど重いかは、語のなかにあります。それが与えるのは、選択肢と確率です。それらは、送らなければならない一節と一致しません。確率がどれほど高くても、戻るのは事前に与えた項目の一つであり、今書く一節ではありません。私はあとで、順序を逆にしました。それが判断するのは、これがどの種類に属するか、この一歩を上げるべきか、だけです。文はチャットモデルへ行くか、自分で書きます。

開いた集合の内側で、自分で名前を考えさせたことがあります。使える名前は多く、問いへ書かれるのは小さい一切れだけです。それが選べるのは、私が与えた項目のなかだけです。項目のなかにないものは、出せません。候補を自分で名付けられなければ、まだその番ではありません。私は先にルールで狭めるか、検索で一小握りを引き出し、それから問いを閉じます。あとで、名付けをこう変えました。自分で候補を幾つか固定し、それから選ばせます。一覧の外の、まったく新しいものは、話せる一歩へ残します。

モデルへ与えるべき重労働に見える、もう一つの種類があります。証拠は行き来して返さなければならず、推論は残さなければなりません。材料は互いに押し合い、側を選ばせたいし、照合がどうなされたかも残させたいです。それには、その行き来がありません。一回のリクエストは、私が状態へ入れたものからの速い判断です。過程は、繰れるテキストにはなりません。私の言う行き来は、しばしば、結論が次のページに依存し、そのページがまだ状態にない、ということです。その依存は、コードに置きます。先に閉じた判断を一つ問い、それから私が証拠を取りに行き、戻ったら状態を変えて、再び問います。どのページを先に見たか、何を除いたかの順序は、書けません。痕跡を残さなければならないなら、話せるモデルへ渡します。

問うべきもの

問うべきものを、私は今、数種類の形だけだと認めます。この種類であるかは、直接問います。分類は、事前に固定したものでなければならず、それがするのは一つを指すことだけです。深刻さは、細かい数を報告させません。段階を引き、どの段階に着地するかを言わせます。上げること、この一歩を人へ渡すべきかも、閉じた問いであり、同じ一回で問います。これらの外の形は、詰め込みません。

粗い物差しも、残しています。事を理解している人が、この状態を見ながら、本能で指せるなら、それはその問いのように見えます。指す前になお長い演繹が要るなら、話せるモデルへまっすぐ渡します。

状態は、私が用意します。問いは、私が閉じます。コンテキストへ入るフィールドは自分が選び、この問いに無関係なものは運びません。選択肢と段階の境界は、問いに書きます。即興を期待する場所には書きません。それは、開いた問いを丸める責任がなく、私のために材料の次のページをめくりません。ページをめくれば、状態は変わっています。それは次のリクエストであり、なお私が用意しなければなりません。

よく閉じられていない問いは、踏んだことがあります。分布は平らになります。幾つかの選択肢が押し合い、どれも頭一つ抜けません。私は最初、それを遅いのだと思いました。そうではありませんでした。口のピストンを、関節へ与えていたのです。選択肢が重なるか、実際に起きる状況が一覧に書かれていないと、確率は広がるしかありません。それから問いを変えるか、その一歩を話せるモデルへ戻します。問いを変えるとは、重なる項目を併合し、覆われていない場合に「どれでもない」を与えることです。戻すとは、話せるモデルに先に状況を明確に言わせ、それから再び閉じるかを決めることです。調整し続けないでください。問いがなお開いているあいだ、分布はなお広がっています。

Choice と Score

Choice を 255 まで埋めないようにしています。公式の上限は 255 です。それを越えると、彼ら自身が先に採点してから選ばなければならず、遅くもなります。255 は、私が埋めに来た数ではありません。端の場合を選択肢として並べるほど、問いは閉じられたことのない一覧のように見えます。私の問いが自然に数百の出口を持つなら、先に、ルールが候補を切れるか、検索が切れるかを問います。一小握りに、固定の個数はありません。これらの項目がどう違うかを、一目でなお言えるとき、切りは十分遠いです。一目で見分けられなければ、リクエストを送るのが早すぎます。一小握りまで切ってから、選びへ持っていきます。

Score は、順序のある段階として扱い、連続した正確な小数としては扱いません。問いを書くとき、段階は通常 2 から 10 で引きます。欲しいのは段階であり、7.63 のような偽の精度ではありません。段階は、平易な言葉で書きます。この段階と次の段階を、扱いが違うか、先に考えます。違うなら、分けます。両方の段階が最後に同じコードを起動するなら、一つの段階へ併合します。コードのなかに、小数点以下二桁を待っている分岐はありません。二段階のあいだに数が着地することがあり、私はなおそれを段階として読み、しきい値はコードに書きます。段階の意味を明確に書けなければ、段階の記述を変えます。小数は摘みません。

デモを見ているあいだ

公式の Doom のデモと Wikipedia race を見ました。自分の問いの結論には使いませんでした。Doom を見ていると、私は画面に運ばれやすいです。画面は、ゲームが遊ばれているように見えます。入るのは構造化された状態であり、絵ではありません。Doom の側の規模は、およそ毎秒 10 クエリ、1時間あたり約 $7 です。その規模が示すのは、リアルタイムの関節が持つこと、ループがその密度で回れることだけです。ゲームを遊べることは示しません。絵は食べられていません。次の一歩は、外のコードが、状態を持って問うことです。

Wikipedia race が示すのは、高い基数でリンクを選ぶことが有用だ、ということです。推論できるモデルよりウェブを良く閲覧する、ことは示しません。推論なしの比較の下では、歩数がより少ないです。それは、相手が推論を付けていなかったので、実演がより良く見えるからです。推論を付けると、実演はそれほど良く見えません。歩数は変わり、誰がより速いかも変わります。「より少ない歩数」を自分の課題へ持ち帰り、道を見つけるのがより上手いものとしては扱いません。道が続くか、どこで止まるかは、なお外のプログラムが決めます。私はこれを、玩具からすべてを判断しない、として取ります。実演が見て心地よいかは、次にどの文を問うべきかを、私のために決めません。

自分で使うとき、分け方はかなり硬いです。尽くせ、条件が安定しているものは、なおルールとして書きます。問いには行きません。本能が一指しで答えられるもの、そのとき問いかけます。問う前に、問いは閉じていなければならず、状態を用意できなければなりません。開いて内容を言う番になれば、チャットモデルへ渡します。誤ったものを問えば、遅さと費用は私の問題です。

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